悟りの方法

自分を捨てることが悟り

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自分を捨てる

ちょっとお釈迦様にご登場願いましょう。
お釈迦様は、

「あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、・・・諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る」(スッタニパータ1-211・中村元訳(ブッダのことば))

と言われています。
日本語がわかる人なら、「あらゆるもの」という意味がどういうことか理解できるはずです。
ところが、この話を要約しているどんな解説書を見ても、「あらゆる」という中に自分を入れていないのです。
煩悩を捨てろるとか執着を捨てろとか、いろいろな解釈がなされています。

「あらゆるものにうち勝ち」など部分的なものに目を向けると、それに挑戦している自分は素晴らしいんだ、と自分は思ってしまいます(^^;

言葉全体に目を向けると、お釈迦様の言われた「あらゆるもの」という中には当然のこととして自分も入ります。
お分かりいただいていると思いますが、ここで言う自分とは、自分が自分と思っている自分そのものです。
あらゆる煩悩もあらゆる執着もあらゆる怒りも、ねたみも悲しみも、すべては自分を第一に考え、とことん自分を保護する「脳のクセ」から出てきます。
一般的に言われているのは、すべての苦しみの元である煩悩を捨てましょうとか、コントロールしましょうなどですね。
誰しも一度は触れたことのある理屈だと思います。

ちょっとここで質問です。
すべての苦しみのもとである煩悩はどこから生まれてくるのでしょうか。

もうお分かりいただいていると思いますが、
「脳のクセ」から出現しているんですね。

あなたが感じている苦しみは煩悩から生まれているのですから、苦しみたくなければ煩悩を手放さなければなりません。
とてももっともらしい言い分ですね。

実にもっともらしい言い分ですが、果たしてその理屈を聞いて煩悩が捨てられると思いますか?
捨てられないと私は思います。

なぜだと思いますか?

そうです。
煩悩の元となっている「脳のクセ」をそのままにしておいて煩悩が手放せる訳はないのです。
苦しみから逃れるには、その元となっている煩悩を手放さなければなりません、と言っておきながら煩悩の元になっている「自分」を手放すことはしない。
大きな矛盾だと思いませんか?

「自分」は自分が認識している訳ですから、「自分」を捨てるには自分の認識を変えなければ「自分」はなくなりません。
自分に対する認識を変えるには別の自分を持ってくる必要があります。
自分というものに対する認識を入れ替えてやる必要があるのです。
それが悟りであり、自己の消滅であり、煩悩の退治であり、苦しみを滅するただ一つの方法なのです。

ところが道を語る多くの人たちは悟りを知らないので、自分を捨てることができません。
だから中途半端な教えに終始してしまうのです。
すべての苦しみの大元である自己の存在に目を向けることなく、苦しみをなくすことはできないことすら気がついていないのです。

そして、考えることが苦手な多くの人たちは言われるまま、そうか煩悩が悪いのか、と何の疑いを持つこともなく自分の知識として取り込むか、そんなことはできるものか、とあきらめるか。
いずれにしても、底が浅いと言わざるを得ないですね。

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