相手の気持ちがわからない―その不安、本当に必要ですか?
導入:その“答えのない問い”に苦しんでいませんか?
「彼は本当に私のことが好きなのかな?」
「私のこと、どう思っているんだろう?」
恋をしているとき、相手の気持ちがわからなくなって、夜も眠れなくなるほど悩んでいませんか?
返信が少し遅いだけで不安になったり、相手の何気ない一言を何度も何度も反芻してしまったり。
そんな自分が嫌になって、「どうして私ばかりこんなに苦しいんだろう…」と、一人で苦しんでいませんか?
相手の気持ちがわからない不安は、あなたの心が弱いからでも、愛されていないからでもありません。
その苦しさは、あなたの命を守ろうとする“本能の働き”が引き起こしているものなのです。
その不安は、本能が引き起こす“幻”
私たちの脳には、何よりも「安心・安全」を求める「生存本能」が備わっています。
原始時代、集団の中で「自分がどう思われているか」を知ることは、命を守る上で非常に重要でした。
もし関係性が不安定になれば、それは「群れから孤立する危険」を意味し、食料や安全を失うことにつながるからです。
この本能の働きは、現代社会においても無意識に私たちを支配しています。
「相手は私をどう思っているだろう」
「嫌われていないだろうか」
でもね、ちょっと考えてみてください。
こうした思いは、あなたが幸せになるために本当に必要なことなのかなって?
誰かがあなたを愛して、尽くしてくれなければ幸せになれない。
もし本当にそうだとすれば、あなたの幸せは、常に誰かの気持ちに左右されてしまうことになります。
そんな不安定な状況で、あなたが心からの安らぎを得ることはできるでしょうか?
誰かが幸せにしてくれるという思いは、残念ながら幻にすぎません。
幸せは、誰かではなく「自分で」感じるもの
原始脳は「安心・安全」を求めますが、残念なことに「幸せ」という概念は持っていません。
生き延びるだけで大変だった原始時代にはそれで十分だったのです。
なぜなら、悩みや苦しみは20年~30年といった短い寿命が解決してくれたからです。
でも、今は80年以上も生きる時代です。
幸せに過ごそうとしないと、悩みや苦しみを抱えたまま長い時間を過ごすことになります。
そんなの嫌ですよね?
幸せは、他者からの評価や、誰かに愛されているという安心感や心地よさから生まれるものではなく、あなた自身の思考によって、あなた自身が感じるものです。
確かに、本能は心地よさを求めます。
しかし、その本能に引きずられてしまうと、「相手の気持ち」という不確かなものを追い求め続け、恋愛は苦しいものになってしまいます。
あなたの幸せは、相手の気持ちという不安定なものではなく、あなたの手の中にある、確かなものなのです。
本能の警報を「客観視」する
相手の気持ちがわからなくて不安に駆られるたび、「こんなに心が不安定な自分はダメだ」と自分を責めていませんか?
しかし、苦しんでいるのはあなた自身ではなく、あなたの命を守ろうと必死になっている「脳の仕組み」です。
大切なのは、その苦しみを「否定しないこと」です。
「また不安になっている…」と感じたとき、こう心の中でつぶやいてみてください。
「ああ、今、私の生存本能が働いて、この関係を安全にしようとしているんだな」
この一言を心の中でつぶやくだけで、感情に引きずられた思考ではなく、自分の意志で思考することができるようになります。
このことが、感情に飲み込まれず、冷静に自分を見つめ直すための第一歩です。
あなたは、不安になっている自分を客観的に観察できるようになり、自分を責める気持ちも和らいでいくでしょう。
相手ではなく「自分」に意識を向ける
本能が「危険な状態だ」と判断しているなら、やるべきことはただ一つ。
「安心・安全」を脳に与えることです。
それは、相手の気持ちを詮索することではありません。
相手にばかり意識を向けるのではなく、「自分自身」に意識を向けて、心を安定させる習慣を作りましょう。
- 自分の感情に気づく:「今、なぜ不安なのだろう?」と自分の心に問いかけてみましょう。相手の言動ではなく、自分の感情に目を向けることで、客観的な視点が生まれます。
- 小さな「安心」を積み重ねる:相手からの連絡を待つのではなく、自分の好きなことに没頭したり、友人と楽しい時間を過ごしたりして、「私は一人でも大丈夫だ」という小さな安心を脳に与えましょう。
まとめ:あなたは何も間違っていない
相手の気持ちがわからなくて苦しんでいるあなたは、何も間違っていません。
ただ、あなたの命を守ろうとする本能が、現代の恋愛という複雑な状況に適応できず、少し敏感になっているだけなのです。
その事実に気づき、相手ではなく「自分自身」に意識を向けることで、あなたの心は少しずつ落ち着きを取り戻し、自分を責める気持ちも和らいでいくでしょう。
大丈夫、あなたは今日も、しっかりと生きています。