パニック障害は脳が何らかの異常を起こすことで始まります。
私がパニック障害を発症する前、仕事や人間関係、経済的なこと、結構いっぱいいっぱいでした。
多分ですが、処理することが多すぎて脳が誤作動を起こしたのではないかと思えます。
中でも人間関係は悩みの中心でした。
強すぎるストレスは、パニック障害を発症するきっかけになるとともに、パニック発作の頻度も強さも上げると考えられます。
ここでは、ストレスの原因となる人間関係を例に原始脳がどう働くのかお伝えします。
パニック障害から距離を置くためにはストレスを少なくし、脳に過剰な負担をかけないことが必要です。
原始脳が生き延びるために手に入れた力がどう私たちにストレスを与えるのか考えてみてください。
では脳の性質を踏まえて人間関係を考えてみましょう。
人間関係は私たちの悩みのほとんどを占める程難しいものです。
人間関係が良好になればストレスや悩みの解消につながります。
人間関係 における三つの魔物
ほとんどの人は、友人であれ、仕事仲間であれ、家族でさえうまく付き合えないと感じているはずです。
なぜなのでしょうか。
昔インドの修行僧たちの間で大切にされてきた言葉は「人間は友達や家族同士、お互いに仲良く付き合っているようだけど、自分の都合を考えないで付き合ってくれる人というのは、まず世の中にはいません」と言うものだそうです。
この言葉のように、ほとんどの人は自分勝手です。
そして、ほとんどの人は自分のことをよく知りません。
ほとんどの人は自分勝手で、しかも自分のことをよく知らないことが、人間関係を難しくしている原因だと思ってください。
自分の気付かないところで自分を支配している魔物のようなものですね。
第一の魔物 人間は自分勝手
ほとんどの人は自分勝手です。
そして、そのことを自分で自覚することはありません。
にもかかわらず、ほとんどの人は自分勝手な人を嫌います。
自分は自分勝手な人間とは付き合いたくはないし、自分は自分勝手な人間にはなりたくないと思っていますし、自分は自分勝手な人間ではないとも思っています。
だから、ほとんどの人は自分勝手ですとお話しすると、心の中でひそかに自分は違う、と思うのです。
おそらくあなたも今そう思っていることでしょう。
第2の魔物 理解してもらいたい
ほとんどの人は自分を理解してもらいたいと思っています。
私のことを分かって、という感じですね。
ところが、ほとんどの人は私のことを分かってとしきりに思うくせに、人のことを分かってあげようとはしません。
テレビドラマで、奥さんがご主人に向かって「あなたに人の気持ちなんて一生分からないわ」と言い放つシーンがありますよね。
でもご主人はご主人で、一生懸命に仕事をして家族を支え、ご主人なりに家族を愛しています。
客観的にこのケースを見ると分かるように、奥さんも超能力者でない限り、ご主人の本当の気持ちはおそらく一生理解できないでしょう。
あなたは人の気持ちが理解できますか? 理解しているつもりでも人の本当の気持ちなんて他人に理解できるはずはないのです。
でも、人には自分のことを理解してほしいと思っているのです。
大きな矛盾ですね。
第3の魔物 ほとんどの人は自分のことを知らない
セミナーや個人相談で、自分のことを理解してくれないと思っている人が多いのにも驚かされますが、自分のことは全く理解していないと気付いていない人が多いのにも驚かされます。
人は原始脳の働きに従って自分のことはほとんど気付かないという性質を身につけています。
だから言い訳をしている人も、自分が言い訳をしているなんて気付かないし、 しきりに自慢している人だって、自分は自慢が多いなんて気付かないし、 実はそれほど働き者ではないのに、自分は働き者だと思っているし、 さして優秀でないのにもかかわらず、自分は優れていると思っているのです。
なぜかというと、そうすることが脳の欲求を満たすために、自分の精神の安定のために必要だからです。
ほとんどの人は、自分の精神を安定させるために、自分自身の真の姿に気付くことが少ないのです。
だから 人間関係 が難しくなる
お伝えしているようにほとんどの人は自分勝手だし、自分のことはよく知らないのです。
もっとも、それを素直に「そうかそうだな」なんて思うこともないでしょう。
反対に、自分勝手で自分を知らない、と聞いた瞬間に様々な反論が頭に浮かぶはずです。
それこそが原始脳の働きの仕業です。 原始脳の働きに支配されると、自然に自分勝手になるし、自分のことは見えなくなるのです。
ほとんどの人がそうですから、そんな人同士が良好な人間関係を築けるわけがないと思ってください。
くどいようですがもう一度。
自分で「自分は身勝手でわがままだ」と思っていない限り、ほとんどの人は程度の差こそあれ、自分勝手でわがままです。
ただ、そのことを自分で気づいていないだけなのです。
だから、自分は自分勝手でわがままで自分のことをよく知らないんだ、と気付くとどうすれば良好な人間関係が築けるかが分かります。
人は人を批判する
何かにつけて文句を言ったり批判したりする人があなたの周りにもいると思います。
でも、しかし、それは違う、こうでなくちゃ、などなど、食事一つとっても必ずといっていいほど何かケチをつけなければ気が済まないような感じの人ですね。
その裏にはひっそりと原始脳の働きが隠れています。
自分が正しいと思い込んでいると同時に、批判している自分を素晴らしいと感じているのです。
何かを批判するというのは、その対象になっている人たちよりも自分の方が優れていると感じたいからなのです。
なのに、ほとんどの人は批判されるのを恐れます。
何を言っても、逆に何も言わなくても、何かをしても、何もしなくても、批判する人は批判します。
お分かりいただけていると思いますが。批判を恐れるのは原始脳の働きのせいですし、批判するのが好きなのも原始脳の働きのせいなのです。
それでも人は群れたがる
人間関係を断って生活はできないので、いやおうなしに人間関係に迫られる。
それならいっそ必要最小限の人間関係で良いではないか、とも思えるのですが、実は人は寂しいのが嫌いですから、どうしても自分を理解してくれる人を探してしまいます。
幼いころは家族が自分の寂しさを埋めてくれる存在ですが、だんだんと成長していくと家族の中にも敵味方ができてきます。
自分の意見や価値観を認めてくれる人が味方で、自分に反対する人を敵とみなします。
だから、自分の正当性を主張し、何とか味方を増やそうとたくさんの時間やエネルギーを使うのです。
実は、敵もなければ味方もない、のが真実なのですが、そこには気付かないので、味方だと思っていた人に反対されると途端に裏切られた気持ちになるのです。
また、原始時代では一人では生きていけないので、仲間外れは死を意味します。
その遺伝子が残っているために、仲間外れを極端に恐れる性質を私たちは持っています。
多くの人が我慢して人間関係を維持しようとする原因はそこにあると私は思います。
誰とでも付き合おうとする
誰とでも仲良くする、と言うのは理想です。
でも多くの人は「自分は良い人」を演じたいので、誰にも愛想よくすることがあります。
いわゆる八方美人というやつですね。
誰とでも仲良くしようとすると、無理をして頑張らなければなりません。
なぜなら、ほとんどの人は自分勝手でわがままだからです。
当然ですが、無理をすると疲れます。
そのうち意見の違う人たちの間に立つと疲れがピークに達します。
どちらの味方もできないからです。
一生懸命に自分の正当性を主張されればされるだけ、逃げ出したくなります。
昨日の友は今日の敵
人は自分の意見に賛成してくれる人を味方だと認識します。
人は自分を理解してくれていると思える人を味方だと認識します。
人は一緒に頑張ってくれた人を味方だと認識します。 人は自分をほめてくれた人を味方だと認識します。
でも、すべては勝手な思い込みでしかありません。
ほとんどの人は自分を良い人だと思っているか思いたがっていますから、自分は人から慕われているはずだと勘違いをしています。
ただし、人は自分の都合で人への接し方を簡単に変えてしまいます。
お金があると人は寄ってきますが、お金が無くなるといつの間にか多くの人が周りからいなくなるような感じですね。
たまたま自分の意見に賛成してくれたに過ぎない、たまたま理解してくれたような気がしたに過ぎない、たまたま一緒に何かをやったに過ぎない、たまたまほめてくれたに過ぎない、のです。
多くの場合あなたのためにそうしたわけではありません。
だから自分の都合により、あなたに意見し、あなたをけなし、あなたの悪口を言い、あなたに仕事を振り、あなたを裏切るのです。
しかも簡単に、あっけなく。
仲間を作り、異質なものを排除しようとする
価値観が同じような人たちと仲間を作り、価値観が違う人を排除しようとします。
自分が正しくて人が間違っていると思い込んでいるからです。
なぜなら、自分と違う価値観を認めてしまうと自分の精神の安定が揺らぐからです。
もちろんそんなことを考えてやっているわけではありません。 脳の欲求に従う思考が無意識のうちに働くのです。 劣等感の強い人はその傾向が強くなります。
自分を守ろうとする働きが強いからです。
劣等感を感じたくないために、何とか人より優位に立とうとするのです。
同調する人たちも同じような思考を持っています。
ただし、明らかな力の相違がない限り、いつかは仲間でなくなります。
すべてに対して同じ価値観を持つことはないからです。
明らかに力の差があると、強い人に渋々でも従うことになりますから仲間の関係は結構長く続きます。
お金を持っている、立場が上、けんかが強い、など何でもいいのですが力の強い人に従っていれば何かしら自分にもいいことがあると思うからです。
陰口や噂話が好き
もうお分かりいただけると思いますが、陰口や噂話が楽しいのは、自分が優位に立てていると勘違いできるからです。
陰口や噂話の対象になっている人たちよりは自分の方が正しい、常識的だ、そして自分の方が良い人だ、と感じられるのです。
それは気持ちの良いものです。
原始脳の働きの一つである心地良さを求めることを満たすからです。
だから、多くの人は陰口や噂話が好きです。
嫉妬がからむとこの傾向は強く現れ、嫉妬を相殺しようと陰口や噂話で対象となる人をおとしめます。
だから、嫉妬を受けやすい人ほど陰口を言われていると思ってください。
美人で、ご主人も高収入で、しかも子供も優秀、となると実に簡単に陰口や噂話の対象になります。
相手をおとしめるにつれて嫉妬の感情を薄めることは、別に考えてやっているわけではありません。
脳はこれらのことを自動的に処理します。
当然自己嫌悪になることもないし、対象者に悪いなという感情も湧きません。
あの人はお金持ちだ、と聞くと「何か悪いことでも、やっているんじゃないか」と簡単に人を悪者にさえしてしまいます。
そこには自分は悪いことができないからお金持ちではないんだ、と自分を納得させる原始脳の働きが潜んでいます。
女性の地位
一般的には女性の地位は男性のそれに比べて低く扱われています。
なぜだと思われますか?
多くの場合、女性は男性よりも小さいし力も弱いからです。
実に単純な理由なのですが、原始時代から続く、最後は力が優劣を決めるという性質を引き継いでいますからどうにもなりません。
男性対女性という構図だけでなく、力関係の優劣は多くのものとの関係に多大な影響を及ぼしています。
もちろん多くの場合、無意識のうちに力を行使しています。
極端な例ですが、蚊が手にとまったら叩きます。
立派な力の行使ですね。
相手の都合など考える間もなく、自分が不快だという理由だけで力を行使してしまいます。
人間関係にそのまま当てはまるわけではないのですが、この力の行使という言葉は、人間関係においても多大な影響を与えます。
ここでの力とは、腕力だけではありません。
パワハラという言葉があるように、上司と部下、雇用者と被雇用者、店員と客、といったように、立場の違いが力関係に差を作ります。
多くの場合、無意識のうちに力関係だけで人間関係は決まると言っても過言ではありません。
肩書がつくと偉そうに、尊大になるのは原始脳の働きのせいです。
そして力を手に入れた人が力を行使したくなるのも原始脳の働きのせいです。
原始脳の働きは自分を大きく感じるときに快感を覚えるのです。
力関係は1対1の時に強く働く
夫婦、友達、家族、同僚、恋人同士、何でもいいのですが、1対1の時に、力関係は大きく働きます。
1対1の関係ではお互いがお互いを尊重するとその関係はスムーズなのですが、多くの場合、この力関係の上下により1対1の関係が決まってしまうようです。
自分の方が優位だと思えれば相手に対して強く出てしまい、相手がいったんそれを受け入れるとなかなかその力関係は崩れません。
ただし、不思議なことに力関係が上でも下でもお互いに自分の方が我慢していると思っているのですが。
私はストレートに言う人だから
半ば自慢気にこう言われる方もおられます。
言うほうは気持ちいいのかも知れませんが、言われるほうはたまったものではありませんね。
お分かりいただけているように、ストレートにものを言うというのは、自分の正しさを感じたいからにほかなりません。
テレビでは毒舌タレントと言われて人のことを好き勝手に言っている人がいても構わないのですが、普通の人間関係だと困りものです。
テレビだと嫌なら見なければいいだけなのですが、家族や友達だとそうはいきません。
何かがあると畳みかけるようにストレートに批判してこられるととても疲れます。
ストレートにものを言うのは、自分に自信がない、自分に余裕がない裏返しです。
だから、逆に人からストレートに批判されると信じられないくらい反発します。
人に対してストレートに言うのは構わないけど、人からストレートに批判されるのは許せないなんて、大きな矛盾です。
でもその矛盾に気付くことはありません。
以上、人間関係あるあるでした。
原始脳の働きは生き延びるために手に入れたものですが、幸せな人生を過ごすには邪魔な存在です。
原始脳の働きから離れるには、その存在を理解し、その働きに自分の思考を委ねないことが大切です。
良く考えれば、孤独は怖いものではないし、人の批判はほっとけば良いし、人の悪口を言うことは自分を貶めるだけだと分かるはずです。
人間関係に潜む原始脳の働きを見つければ、ストレスは激減します。
ということは・・・
そうです。
パニック障害は改善されるということです。
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