序章:いじめは本能的行動なのか?
いじめは個人の性格や家庭環境だけで説明できる問題ではありません。
それは社会全体の構造や本能に根ざした行動と考えられます。
例えば、動物界でも群れを形成する種では、弱い個体が追い出されたり、攻撃されたりする現象が観察されます。
人間も同様に、集団の中で自分の地位を確保しようとする心理が働きます。
いじめを「なぜ起こるのか」という視点で本能的行動として捉えることで、問題解決の糸口を見つけることができます。
人間の「集団心理」と「個の弱さ」
人間は本質的に「群れを作る」生き物であり、集団心理が重要な役割を果たします。
しかし、この心理が「自分たちの仲間とそれ以外」を区別する排他的行動を生むことがあります。
一方で、いじめの加害者になる人々には、「個としての弱さ」も隠されています。
自己肯定感が低い場合や、不安やストレスが溜まっているとき、他人を攻撃することで一時的に安心感を得ようとするのです。
この「個の弱さ」が、集団心理と結びつくことでいじめが起こるのです。
本能としての攻撃性:生存戦略の名残り
攻撃性は、かつて私たちが厳しい自然環境で生き残るために必要だった本能です。
敵対者を排除することで安全を確保し、リソースを独占することで生存確率を高めてきました。
この攻撃性は、現代社会でも形を変えて存在しています。
いじめはその名残と見ることができます。
たとえば、学校や職場でのいじめは、自分の立場を強固にするための攻撃行動ともいえます。
古代では生存に直結した本能が、現代では歪んだ形で現れているのです。
誰かいじめることで、自分のほうが立場が上だと安心するとともに心地良さも感じることが、いじめがなかなか無くならない大きな原因なのです。
社会的動物としての人間:群れの中で起きる排他的行動
集団の中では、共通の敵を設定することで結束力が高まります。
この心理は、敵がいないときでも無意識に外れ者を作り出す形で発動することがあります。
たとえば、学校で特定の子が「変わっている」と判断された場合、その子が排除されることでクラス全体が一体感を持つようなケースです。
この排他的行動は、集団を維持するための無意識の戦略ですが、それが特定の個人にとっては大きな負担となるのです。
「弱者を狙う」メカニズム:ストレス発散と自己防衛
いじめが「弱者」に向かう理由は、反撃されるリスクが低いからです。
これは攻撃行動を安全に行うための本能的な戦略です。
また、いじめは加害者のストレス発散の手段にもなっています。
たとえば、職場で上司に叱責された社員が、家庭で家族に当たるような現象は、この心理の延長です。
集団内の不満やストレスが弱い立場の個人に向かうことで、一時的な心理的安定が得られるのです。
推し行為といじめ行為の共通点?本能的な依存行動として捉える
「推し」と「いじめ」は一見すると正反対の行為ですが、どちらも他者に依存する行動と言えます。
推し行為は、アイドルやキャラクターを応援することで自分の感情を満たすポジティブな行動です。
一方、いじめは他者を攻撃することで自分の地位を守り、心理的満足を得ようとするネガティブな行動です。
このように、どちらも「他者を利用して自己を満たす」という本能的行動の表れと見ることができます。
いじめが人間社会にもたらすもの:本能だけで説明できるのか
いじめが社会に及ぼす影響は甚大です。
被害者にとっては心身の健康を蝕む行為であり、加害者や傍観者にとっても、人間性を損なう結果を生みます。
本能としてのいじめを理解することは重要ですが、それを超えて社会的な視点から問題を捉える必要があります。
例えば、倫理観や教育の欠如がいじめの助長要因となります。
この視点を取り入れることで、より包括的な対策が可能になります。
いじめを本能として理解することで何が見えるのか
いじめは、人間の本能に基づく行動の一種として理解することで、その予防や解決策を考えるヒントになります。
いじめは本能である限り、自分の意志で思考する以外に止める手立てはありません。
というのも、本能は思考よりも早く働きを始めるので、意識しない限り本能の決定のままの言動になるからです。
誰かをいじめるのも、いじめを我慢するのも本能の働きですが、どちらも自分の人生から輝きを奪う力を持っています。
人生を楽しもうとする心構えがいじめをなくす
いじめを根本的に解決するには、個人が自分の人生を楽しむ方法を見つけることが大切です。
自分の価値や喜びを他者との比較ではなく、自分自身の中に見いだすことで、いじめの動機となる不安や劣等感を軽減できます。
ポジティブな活動を通じて他者と共感を深める社会を目指すことで、いじめは自然と減少していくでしょう。
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