脳のクセと戦おうとしても勝てない
脳のクセに気づくと、自分の汚い部分がそこから出ていると理解できます。
すると、なんとかその汚い部分をなくそうと考えるようになります。
つまり脳のクセの支配から流れようとするのです。
でも・・・
ほとんどの場合この試みは失敗に終わります。
仏教で言われている「煩悩」を退治しましょう、ということと同じだからです。
仏教の教えに触れた人がどこまで行っても結局は心の平安にたどり着けないのと同じです。
こう言うと、「そんなことはない、私の心は平安にたどり着いています」と反論される方がおられます。
心の平安にたどり着くと、脳のクセに支配されていない訳ですから、自分がなんと言われようとひっかることはありません。
いかに口で心は平安ですと言ったところで、誰かの言葉に反応してしまうのは心が平安でない証拠です。
現代の日本に存在するほとんどの、「心の平安」に関する説は、欲望のコントロールや、怒りのコントロールなど、心をいかに上手にコントロールするかということに主眼がおかれています。
コントロールはなかなかできない。
そのできないことを頑張ってするのが修行だ。
コントロールができるようになるほど心は幸せを感じる。
考え方を変えよう。
出来事はポジティブにとらえよう。
自分を許してやろう。
自分は自分のままで良い。
例をあげればキリがないほどですが、そんな感じですね。
そんな言葉を聞くと心地よく感じませんか?
脳のクセは人より自分が優れていると思いたくてしょうがないのです。
そんな脳のクセにとって耳当たりの良い言葉は、どこまで頑張ろうと、自己満足でしかありません。
脳のクセの支配から逃れるには、自分の存在の本源を見つめることが不可欠です。