悟りとは

魂と脳のフィルター

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魂と脳のフィルター

魂とは何ですか、とお聞きするといろいろ答えられますが、それは誰かが言ったことを自分に取り込んでいる単なる知識でしかありません。
知識は悟りと何の関係もないのです。
魂という言葉は誰かが作って言ったものです。
魂という言葉を使った瞬間に、人の価値観をもとにしていることになります。

少しわかりにくいと思いますので、もう少し説明します。

言葉を聞くときは、脳のフィルターを通して理解しようとすることはお話しました。
同じように、言葉を話すときにも脳のフィルターを通して言葉として出ていくのです。
文字も同様ですよ。
だから言葉や文字で悟りを理解しようとすることは、誰かの脳のフィルターを通ってきたものを手本にしようとしていることになります。
それが故に、お釈迦様は文字として残されませんでした。
当時は紙がなかったから、書くものがなかったから、文字がなかったから、という説もありますが、人は脳のフィルターを通して自分の都合の良いように理解しようとすることを知っていたからこそ、文字として残されなかったのだとと私は考えています。

面と向かって話をすれば相手の理解度がわかりますから、文字ほど解釈が多岐に分かれる危険性は低いのです。

悟りは体験です。
なーんだ、そーだったのか、という強烈、鮮烈な体験です。
体験を言葉や文字ですべて伝えることなんてできるものではありません。

何かすばらしい景色を見たとき、言葉や文字でどれくらいそのすばらしさが伝わるでしょうか。
生まれつき目の不自由な方に、赤とはどんな色か伝えることができますか。

悟りを言葉や文字で理解しようとしている人は、旅行記を読んだり聞いたりして行った気になろうとしていると思ってください。

誰かの言葉や文字にとらわれることは、その人の価値観からの出発です。
ゼロから自分で作り上げたものではないのですから、確信にはなり得ません。

例えば、
なにかの言葉に触れたとき、たとえ感激して救われた気がしても、その安心感は一時的なものです。
別の問題が現れると、たちまち心は不安に占領されてしまいます。
そしてまた別の言葉を探すのです。
たとえ何かの言葉に感動したとしても、また何か自分に心地よい言葉を探します。
おそらく一生続け、何も分からないままこの世を去るのです。

思い当たりませんか?

人は信じようとすることはできますが、信じ切ることはなかなかできないものです。
魂の存在を信じています、と言っている人でも何か重大な出来事の前には簡単に魂の存在を忘れてしまいます。

悟りとは信じることではなく、知ることです。
たとえ一瞬でもその光景、景色を見たならば、その景色の素晴らしさを知ったことになります。

いったん知ると、何があってもそこに帰ることができるようになりますから、常に心は安らいでいられます。
そのために知ることが必要なのです。

お釈迦様が言われたのは、精神論でも先祖の供養でもありません。
ただ一つ「悟りなさい」ということです。

にもかかわらずそれがきちんと伝わらないのは、伝える立場の人が悟れていないからです。
悟れていないから、人に「悟りなさい」なんて言える訳ないですからね。

くどいくらいお伝えしますが、人の言葉はどこまでいっても自分のものにはなりません。
世界には言葉があふれ返っています。
宗教的な言葉に限っても、仏教を始めキリスト教イスラム教など一生かかっても読み切れない、聞き終わることができないほど残されています。
なのになぜ、悩みがつきないのでしょうか。
なぜ苦しみから解放されないのでしょうか。
なぜ幸せのうちに一生を終えることができないのでしょうか。
言葉や文字は自分のものにならないからです。

信じようとすることはできても、信じ切ることはできないからです。

少しはお分かりいただけましたか?

悟りはどんなに言葉を聞こうと、どんなに文字を読もうと、得られるものではありません。
自分の頭で考えて、考えて、考え抜いて、自分の中から見つけるものなのです。

では、もう一度質問です。

眠っている人と、今亡くなった人が並んでいます。
さて、眠っている人と死んでいる人の違いは何でしょうか。

この答えを自分の中から見つけてください。
考えて、考えて、考え抜いてみてください。

答えは自分の中にありますが、正解はありません。
どうせわからない、時間の無駄だ、そんなものが何になる、面倒くさい、脳はそうささやくでしょう。
確かに最初のうちは、どう考えたら良いか分からないはずです。
そんなときは考える対象を絞るのが一つの方法です。
例えば、なぜ死体は動かないのに寝ている人は動いているのか、などですね。
寝ている人と死んでいる人の違いを細かく見てみるといろいろな違いが見つかります。

そこを手始めに少しずつ範囲を広げて行くと、一つのイメージが湧いてくるはずです。
そのイメージを追い続けて行くことで、自分なりの答えを導きだすことができるでしょう。
おぼろげながらでもその答えの姿が確認できれば悟りの入り口です。

もちろん人によっては、その瞬間に悟りを体験するかもしれません。

人によっては、長い時間をかけてそのイメージしたものの正体を知る作業になるかも知れません。

そのイメージしたものに「魂」と名前を付け、それが自分自身の本体だと信じようとすることは簡単ですが、そのイメージしたものが自分自身の本体だと「知る」ことは簡単ではありません。
「知る」ためには悟りの体験が必要になります。
強烈な、鮮烈な体験とともに自分自身の本体を知ることになるのです。
それまでにどれくらいの時間が必要なのかは分かりません。
明日かもしれないし、生きている間にはそのときは訪れないかもしれないのです。
でも、それを知ろうとする作業があなたに少しずつ幸せを運んでくるのです。

ほんの少しでも悟りの世界を覗いた瞬間から、人生は一変します。
心の中が安心で満たされます。
お楽しみに!!

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