考えることは人間にしかできません。
その素晴らしい能力は使えば使うほど自分の人生の質を上げてくれます。
とても良い例があります。
経営理念は 「悟り」である
なんのための経営か、どのような心構えで経営に取り組むか。松下幸之助さんは、かなり長い間、考え、悩み、考え抜いて、悩み抜いて、そして、あるきっかけで、経営理念を頓悟(とんご)しました。
それが、「経営とは、私心私欲で取り組んではいけない。ひたすら世のため人のために取り組むものだ。よって、産業人の使命は、社会生活の改善と向上と、世界文化の進展に寄与貢献することにあるんだ」という悟りでした。
その結果は日本のみならず、世界が驚くような社業の発展を遂げることができました。ですから、「経営理念は、経営において、もっとも重要なものだ」と松下さんは、ことあるごとに言っていました。
受け売りではない、外から教えられたものではない、まさしく内からの「悟り」であったからこそ、松下幸之助さんの経営は、「千万人と雖も我往かん」という迫力と力強さがあり、それによって、歴史的実績を遺したのではないかと思います。
※ 頓悟(とんご)・・ハッと悟ること。ハッと気がつくこと。目から鱗のこと。
引用元 江口克彦(フェイスブック)
世界にその名を知られるPANASONICの創業者である松下幸之助氏が悟ったのは「経営とは、私心私欲で取り組んではいけない。ひたすら世のため人のために取り組むものだ」という、言葉にすればなんてことのないものです。
でも、その言葉を聞いたどこかの経営者が「そうか、そうしよう!」と思ったところでまねできるものではありません。
自分のものではないからです。
集中して考えると「私」が消える
集中して考え抜くことで「私」がなくなり、揺るぎない答えにたどり着きます。
自分で見つけた答えは揺らぐことがありませんし、より良くなるために考えることをやめません。
対して、外から仕入れた答えは自分の都合でコロコロ変わりますし、答えを得たと思うのでそれ以上考えようとしません。
人は何かに対して答えを得たと思うとそれ以上考えることをしなくなります。
思考停止になってしまうのです。
議員選挙で立候補者は盛んに耳当たりの良い言葉を並べます。
当選したいから当然ですね。
投票する側は誰に投票すると自分が得か、という基準で耳当たりの良いと思われる言葉を探します。
どちらも目先のことで、自分の安心のために答えを探します。
そして、どちらも答えを得たと思い込むので、それ以上考えようとはしません。
平和を求めて喧嘩する
減税したところで、根本的な解決にはなりません。
憲法を改正したところで平和はやってきません。
逆に憲法9条を守ったところで平和になることはありません。
憲法改正派と擁護派が話をすると必ずと言っていいほど争いになります。
相手の言い分を許せないとまで言ってのけます。
身近な喧嘩から戦争まで、争いの元は自分が正しくて人が間違っているという思い込みか損得を原因とします。
平和を求めて喧嘩をするという矛盾に気付かないのでしょうね。
立候補する人はどんな世界にしたいのか、投票する人はどんな世界に行きたいのか、が基準になると良いのでしょうが目先にとらわれているので思考停止になっています。
動物的思考
目先にとらわれて言動を決定するのでは動物と変わりません。
動物には将来を展望するという概念がないからです。
ところが、多くの人は目先しか考えません。
驚くことに、どんな人生を過ごせば幸せだと思いますか、という質問にほとんどの人は即答できません。
なぜだか分かりますか?
考えたことがないからです。
考えないでいて自分の人生がうまくいかないと嘆いているのです。
お伝えしたように、考えるという能力は使えば使うほど人生の質を上げてくれます。
ところが、
私たちは考えることが苦手、嫌いなのです。
私たちは、まだ進化の過程にいます。
地球が誕生して460億年。
人類の誕生は500万年前と言われていますが、ネアンデルタール人と呼ばれる旧人が誕生したのが20万年前。
もし地球の46億年を仮に1年間とすると、ネアンデルタール人の登場は12月31日の午後11時37分となるそうです。
ということは、まだまだ人類としての進化は始まったばかりです。
だから、動物としての性質、旧人としての性質をしっかりと引きずっています。
例えば、
多くの人は面倒くさがりです。
動くことはエネルギーを消費するからです。
十分に食べ物が手に入らなかった時代、エネルギーを消費することは命にかかわることだったでしょうから、できるだけ動かないようにするのが当然ですね。
同様に多くの人は考えることも苦手です。
何せ考えることは大きなエネルギーを消費するからです。
だから、できるだけ考えないように、経験や価値観に従ってただ反応することを脳は仕向けています。
ここで言う脳とは、命を守り子孫を残そうという本能に基づいた働きをする脳のことです。
つまり私たちは原始時代に備えた脳の性質を引きずっているだけでなく、その性質に支配されているとも言えます。
脳神経学的には、1983年にアメリカの生理学者ベンジャミン・リベットが私たちの思考は脳に支配されているという趣旨の論文を発表し、私たちが何かを決定するより早く脳は働きを始めることを実験から証明しています。
脳の欲求に支配されている
私は長年にわたるカウンセラーとしての経験から、ほとんどの人は脳の持つ基本的な欲求に従って思考すると仮定しています。
脳の基本的欲求とは
〇 不安から逃れたい
〇 不快から逃れたい
〇 安心したい
〇 心地良くなりたい
という4つだと考えています。
脳はこの4つの欲求に従って思考を支配していると確信しています。
ほとんどの人はほとんどの時間、この脳の基本的欲求に操られたまま思考しています。
というより、脳の決定に沿って、その決定を補足する理由付けをするために思考していると言えます。
私はこの思考を動物的思考と呼んでいます。
動物はこれらの欲求だけで生きていると思えるからです。
脳の欲求に従った思考がほとんどの悩みや苦しみの原因になっていると私は思っています。
不安や不快から逃れ、安心や心地良さを求めるという脳の性質に支配されると、質の良い人生にはなりにくくなります。
人間関係を始めとしたいろいろなことがスムーズにいかないからです。
人間関係において、不安や不快から逃れ、安心や心地良さを求めると、人より上に立ちたがり、自分のほうが優れていると思いたがり、誰かに認めてもらいたがり、人の悪口を言い、嫉妬し、怒り、いじめ、人を馬鹿にするようになります。
あるいは自分を否定することで人から否定される不快から逃げるようにもなります。
考えないと幸せになれない
脳の支配のまま行動するのでは動物と同じです。
それでは幸せな人生は
なかなかやってきません。
動物には幸せという概念がないからです。
同様に私たちの脳にも私たちを幸せにするプログラムが入っていないからです。
2015年ドイツベルリン大学付属シャリテ病院の脳神経学チームが、脳から思考は取り戻せると発表しました。
脳から思考を取り戻すことで私たちは自分の人生を自分の考えで歩むことができます。
脳の命令から離れて、自分や周りの人たちにとって何が最善かを考えることができるようになります。
私の勝手な解釈ですが、あの有名な般若心経にも「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時」つまり「観自在菩薩は、深い集中で思考し、ついに悟りの体験をしました」と書いてあります。
拙著「明解 般若心経」(キンドル電子書籍)をご覧いただければ幸いです。
自分の周りに存在するすべての物やすべてのサービスは人の思考から出てきたものです。
考えることはより早い進化を自分に届けてくれます。
常に思考停止になっていないか気を付けたいものですね。
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