私たちが生き辛さやしんどさを感じるとき、
その原因は「出来事」ではなく、
原始脳=本能=無意識の働きにあります。
無意識脳は、生き延びることだけに特化した脳です。
そのため、安心や安定を求め、
変化や不確定を「危険」と判断します。
この働きに気づいていないと、
私たちは「幸せには条件が必要だ」と信じてしまいます。
お金があれば。支えてくれる人がいれば。理解してくれる誰かがいれば。
しかし、その前提がある限り、
幸せはいつまでも自分の外側に置かれたままです。
本当の幸せは、
外の条件が揃うことではありません。
心が動じない状態に戻れること。
ここからその仕組みを、やさしく紐解いていきます。
誰もが幸せになることを願っています。
幸せって何でしょう。
一時的に幸せを感じることはそこそこあることと思いますが、日常的・恒久的に幸せを感じることはなかなかありません。
幸せという感覚は不幸という感覚と相対的なものですからフラットな感覚から幸せを感じることはよほどのことがない限りありません。
たとえば宝くじが当たった、思いを寄せていた人から告白された、など予期していない良い出来事が起きたような場合ですね。
それに比べて、不幸を感じている時に幸せを感じることはより簡単です。
病気が軽快した、なくしたと思ったものが見つかった、などですね。
あなただけでなくほとんどの人は、自分の周りに起きる出来事によって幸せとか不幸とかを感じています。
それはそれで当然なのでしょうが、私の場合は「心が動じないこと」を幸せに感じます。
私がパニック障害で苦しんでいた時、何より嫌だったのがパニック発作の不安でした。
目が覚めてから寝るまでの長い時間、常に発作の不安が頭から離れることがありませんでした。
そして、そんな自分が嫌でたまりませんでした。
なにしろ発作が起きていないのに発作を恐れて不安に駆られて、心が晴れる時間がないのですから。
そんな時間を半年くらい過ごすと、幸せになりたいなんて思いはなくなり、ただ不安を感じないで済むことがただ一つの望みになりました。
というのも発作を恐れて過ごした一日が、発作が起きないまま翌日になり、そのことを振り返るととても無駄な時間に思えたからです。
自分の心の弱さを嘆くとともに、自分の意志で抑えられない不安を不思議に感じ、これは脳の故障だと思うに至りました。
そこで脳に強い関心を持ち、医学的なことや哲学的、宗教的な観点から脳の働きを学び始めました。
そんな時、突然大きな安心感と幸福感に満たされるというスピリチュアルな体験をしました。
布団の上で横になっていたのですが、起き上がってガッツポーズをするくらい衝撃的な体験でした。
その瞬間に不安は消し飛び、パニック発作はあるものの心が全く動じなくなりました。
そのうち発作もなくなり、自然にパニック障害は治りました。
誰もが幸せを願って生きていますが、
では幸せの定義は何ですかと問われると、答えに困るはずです。
ただ漠然と幸せになりたいと思っているからです。
どういう状態が幸せと感じるのか、を自分に問いかけ、答えを探すことが自分の幸せに近づく方法の一つです。
宝くじが当たれば幸せ、ではなく宝くじが当たるとなぜ幸せを感じるのか問いかけてください。
そうすることで原始脳の欲求に気づくことが出来、自分の思考をより確かなものにすることが出来ます。
自分に起きた出来事に一喜一憂するだけでなく、自分にとっての「幸せとは」を見つけてください。
何かを変えなければ幸せになれないわけではありません。
外側の条件が揃うことで心が満たされるのではなく、
心が動じないとき、私たちはすでに満たされています。
無意識脳の働きを理解することは、
自分を変えることではなく、自分に戻ること。
ゆっくりでいい。急がなくていい。
ここから一緒に、心の中心へ戻っていきましょう。
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