楽して得したいのは本能?それとも甘え?
私たちはつい「楽して得したい」と願ってしまいます。
努力せずに成功したい、我慢せずに欲しいものを手に入れたい……
それはごく自然な感情のように思えます。
しかし実はこの気持ち、**原始脳(=本能)**が作り出しているのです。
- エネルギーを温存したい
- リスクを避けたい
- 快楽を優先したい
これらはすべて、脳の生存本能に基づくもの。
つまり「楽して得したい」と感じるのは、脳の仕組みによる当然の反応なのです。
煩悩「貪(むさぼり)」があなたを満たさない理由
仏教では「貪(とん)」、すなわちむさぼりの心が苦しみの根本だとされています。
「もっと欲しい」「今のままでは満足できない」
——このループは終わりがありません。
どれだけ得しても、心は空っぽのまま。
なぜなら「楽して得たもの」には、感動や達成感、意味づけがないからです。
この状態を放置すると、
- 頑張っている人がバカに見える
- 地味な努力が無価値に感じる
- 自分に対する誇りがなくなる
という心の貧困状態に陥ります。
楽して得したい気持ちの裏にある「原始脳の罠」
私の考えでは、こうした欲望は原始脳の暴走と捉えます。
原始脳は、生存のために
- 「損したくない」
- 「楽したい」
- 「他人より優位に立ちたい」
という命令を絶えず出します。
しかしこれに従ってばかりいると、思考する力=前頭前野の働きが弱まります。
その結果、私たちは…
- 深く考える力を失い
- 意味や目的を見失い
- 自分を見失ってしまうのです。
人生を「ラクして得る」ことで失われるもの
努力や我慢が全て正しいわけではありません。
しかし、「楽して得たい」と願いすぎると、人生は色あせてしまいます。
失うものの例
- 本当の満足感
- 成長の実感
- 自信や誇り
- 人との深いつながり
一見「楽」は得ですが、長期的に見ると**「損」になっている**ことも多いのです。
原始脳にブレーキをかける3つの問いかけ
「楽して得したい」と思ったときに有効なのが、自問自答することです。
次の3つの問いを習慣にしてみてください:
- 今、私は何を避けているのか?
- この「楽」は本当に意味があるのか?
- 得た後、自分の心は満たされるだろうか?
この問いかけによって原始脳ではなく、思考脳が働き始めます。
楽して得たものと、楽しんで得たものの違い
同じ「得た」でも、
・楽して得たものと、
・楽しんで得たものはまったく違います。
前者はすぐに飽き、後者は深く満足します。
- 努力の過程を楽しめたとき
- 小さな一歩を重ねられたとき
- 自分の納得感を得られたとき
人生はそのときこそ「輝き」を持ち始めるのです。
まとめ|楽して得たいなら、「心が満たされる方法」を選ぼう
🔹 「楽して得したい」気持ちは、本能=原始脳の命令
🔹 むさぼり(煩悩:貪)は、満たされない人生を生み出す
🔹 「楽」よりも「納得」や「喜び」に目を向けるべき
🔹 努力ではなく、楽しさを基準に選択していこう
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