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人生を楽しめないのはあなたのせいじゃない|人生が楽しくない本当の原因

幸せになる新しい方法

「 人生 楽しくない 」と感じたことはあ りませんか。
特別に不幸な出来事があったわけでもないのに、
なぜか気持ちが重く、毎日が味気なく感じる。
そんな感覚を抱えている人は、決して少なくありません。

多くの人は、その理由を探そうとします。
自分の性格が悪いのか、努力が足りないのか、
環境や選択を間違えたのか。
そして気づかないうちに、
楽しくない人生に希望を失います。

でも、ここで一度立ち止まって考えてみてください。
人生を楽しめないのは、本当にあなたの問題でしょうか。

このサイトでは、
人生が楽しく感じられなくなる原因を、
性格や根性ではなく、脳の働きから見ていきます。
私たちの言動や感情の多くは、
思考よりも先に働く「原始脳」の影響を強く受けています。
そして、その決定に沿って思考が動き出したとき、
人生は途端に重くなります。

原始脳は「幸せ」や「意味」を知りません。
ただ生き残るために反応するだけです。
もしその反応に思考が引きずられ続ければ、
人生は評価され、比較され、
いつの間にか「楽しくないもの」へと変わっていきます。

原始脳はすべての人に備わっています。

問題となるのは対処しようとするかどうかです。

このサイトの結論は、とてもシンプルです。
人生は、正しく生きるものでも、
評価に耐えるものでもありません。

ここから先では、
なぜ人生が楽しくなくなるのか、
どうすれば主導権を取り戻せるのかを、
順を追って、静かに解き明かしていきます。

読み終わるころには人生を楽しもうとしている自分を見つけることができるでしょう。

  1. 人生 楽しくない と感じる本当の理由
  2. 原始脳は思考より先に反応し、人生の方向を決めている
      1. 原始脳が作り出す「防衛反応の連鎖」一覧表
      2. この表で一番重要なポイント
      3. なぜ「言い訳・怒り・嫉妬・マウント」になるのか
      4. 本人が「考えた結果」だと思ってしまう理由
  3. 原始脳は「幸せ」を知らないが、「楽しい(心地よい)」は判断している
    1. 原始脳にとっての「楽しい」とは何か
    2. 「幸せ」と「楽しい」を混同した瞬間に、人生は苦しくなる
      1. 原始脳は「楽しい」より「不安・不快」に敏感
      2. 人生が苦しくなる本当の理由
      3. 「幸せ」を「楽しい時間の多さ」で測ると壊れる
      4. 苦しさは「楽しくない」から生まれているのではない
    3. 子供は楽しいが、大人は「楽しくない」と感じる瞬間
    4. 「楽しいはず」なのに楽しくない、という正体
    5. 思考は原始脳の決定を「正当化」し始める
    6. 言い訳・怒り・嫉妬・マウントが生まれる構造
    7. 本人は「考えた結果」だと思っている
    8. 「人生が楽しくない」は、人生の評価ではない
      1. ◆「人生が楽しくない」という思い込み
  4. 原始脳の判断に、思考が自動的に従ってしまうと何が起きるのか
    1. 人は「ネガティブな物語」を作るのが非常に上手い
    2. 思考は“不安を消すため”に物語を作る
    3. 人は「出来事」ではなく「物語」の中で苦しむ
    4. 原始脳+思考=ネガティブループ
    5. だから「考え方を変える」だけでは抜け出せない
  5. 「考えていない」と言われると、なぜ人は強く反発するのか
    1. 反発は「理解できなかった」からではない
    2. 原始脳は“否定されたかどうか”しか見ていない
    3. 反発は“自分を守るため”に起きている
    4. 思考は「反発のあと」に理由を作る
    5. この反発そのものが、原始脳優位の証拠になる
  6. 原始脳と距離を取ると、人生は取り戻せる
    1. 原始脳を消す必要はない
    2. 「今、不安/不快を感じている」と気づく意味
    3. シャリテ病院の研究が示した可能性
  7. 静かな変化
    1. 原始脳と距離を取った「直後」に起きること
    2. 「まだ人生は変わっていない」けれど、確実に違う感覚
    3. 「見え方が違う」と感じる瞬間の正体
    4. 派手な希望ではなく、静かな余白が生まれる
    5. この段階では、まだ何も変えなくていい
  8. 人生は、楽しんでナンボでいい
    1. 人生を楽しめない自分は間違っていない
    2. 幸せは「原始脳のゴール」ではない
    3. 楽しもうと決めた人から人生は変わる
    4. 私の経験
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人生 楽しくない と感じる本当の理由

人生が楽しくないと感じる最大の理由は、
とても単純です。

自分の思ったように過ごせていない、ことです。

この状態が続くと、
人は「常になんだか楽しくない」という感覚を持つようになります。

重要なのは、
この感覚が思考の結論ではないという点です。

まず先に、
脳の深いところでの反応が起きています。

原始脳は、
人生の意味も、幸福論も、成功も知りません。

原始脳が判断しているのは、
たったこれだけです。

  • 不安か
  • 不快か
  • 心地よいか
  • 安心か

この4つの感覚だけで、
次の言動を即座に決めています。

良いことが起きれば心地よく、
嫌なことが起きれば不快になる。

楽しいか、つまらないか。
それ以上の判断はありません。

極めて動物的な反応です。

問題はここからです。

大人になると、
原始脳の反応そのものではなく、
その後に始まる「思考」によって、
人生が複雑になります。

本当は不快なのに、
「仕方がない」
「正しい選択だ」
「我慢すべきだ」

そう考えながら、
不快な状態を長時間続けてしまう。

すると原始脳は、
「不快」が解消されないまま
ずっと警報を鳴らし続けます。

結果として、

  • 特別に嫌なことはない
  • でも楽しくもない
  • 何をしても満たされない

という状態が生まれます。

つまり、
人生が楽しくない原因は、

「不快な出来事が多いから」ではありません。

不快を不快のまま放置し、
思考で上書きし続けているから
です。

原始脳は、
「将来のためだから」
「今は耐える時期だから」
といった理由を理解しません。

今この瞬間が、
不安か、不快か、安心か。
それだけです。

動物や子どもは、
このズレを長く抱えません。

嫌なら嫌。
楽しいなら楽しい。

一方で大人は、
原始脳の反応の上に
ネガティブな物語を作ります。

言い訳、怒り、嫉妬、マウント、自己否定。

それらはすべて、
不安や不快を感じた原始脳の反応に、
思考が後から意味づけしたものです。

だから、人生はある日突然つまらなくなるのではありません。

  • 思ったように過ごせていない
  • 不快を感じている
  • でも思考で我慢を正当化している

ここ最近の毎日を思い出してみてください。

楽しいと感じた時間と、それ以外の時間。

ほとんどの人は楽しい時間はそれほど多くなかったはずです。

この状態が積み重なった結果として、
常に楽しくない人生が出来上がります。

だからポジティブ思考になりましょう、という理論も出来上がるのです。

でも、このサイトで扱うのは、
ポジティブになる方法ではありません。

原始脳=本能=無意識の働き、に影響されたままだとポジティブになろうとしてもできないからです。

原始脳が
「不安」「不快」と判断しているポイントを見つけ、
そこから思考を取り戻すこと、です。

それさえできれば、ポジティブになろうとしなくてもポジティブになります。

原始脳は思考より先に反応し、人生の方向を決めている

私たちは普段、
「自分で考えて決めて行動している」
と思っています。

しかし実際は、その逆。

先に決まっている。
あとから考えている。

この事実を明確に示したのが、
ベンジャミン・リベットの実験です。

リベットは、人が指を動かす直前の脳活動を測定しました。

その結果、
「動かそう」と自覚する数百ミリ秒前に、
すでに脳内では行動開始の準備が始まっていることが分かりました。

つまり、

  • 意識が「やろう」と思う前に
  • 無意識が「やる」と決めている

という構造です。

原始脳のほうが思考脳よりも早く働きを始めるのです。

ここで言う無意識の中心が、原始脳です。

私はこの脳の反応の出どころを原始脳=本能=無意識の働き、と仮定しました。

脳神経学、一般心理学、進化心理学などとも矛盾することがなく、多くの人に理解してもらえると思っていました。

でも、

残念なことに多くの人には伝わらなかったのです。

人は考えて言動を選択しているわけではない、と言うと実に多くの人が反発しました。

なぜだと思いますか?

それこそが原始脳の反応だったのです。

詳しくは次章以降でお話ししますが、基本的には原始脳は“否定されること”を強く嫌うことが原因です。

防衛反応ですね。

「それは違う」と思った時点で、
すでに原始脳が反応し、
思考は止まっています。

どんなに脳神経学者が私たちの思考よりも脳は早く働きを始める、と科学的な根拠を示して言ったところで、なるほどそうか、なんて原始脳は判断してくれないのです。

この状態のままでは、
どれだけ説明を重ねても、
納得は生まれません。

しつこいようですが、もう一度原始脳の反応をお話しします。

原始脳は、
合理的に人生を考えたりしません

判断基準はとても単純です。

  • 不安か
  • 不快か
  • 心地よいか
  • 安心か

このどれかを瞬時に判定し、
身体と行動の方向を先に決めます。

つまりすべての人の言動の動機のほとんどはこの4つの中に含まれるのです。

原始脳が反応した後、
思考が追いついてきて
「理由」を作ります。

たとえば、

  • 怒り
  • 嫉妬
  • 言い訳
  • マウント
  • 攻撃
  • 回避

これらはすべて、
原始脳が「不安」「不快」と判断した結果です。

決定的なのは、
そこに共通する根本動機です。

それが「死にたくない」という強い欲求です。

評価を失う不安。
拒絶される不安。
立場を失う不安。
将来が見えない不安。

すべて、
原始時代では生存を脅かす可能性への反応です。

言い訳も怒りも嫉妬もマウントもいじめも、すべて原始脳の「死にたくないという欲求」から出てきます。

原始脳が作り出す「防衛反応の連鎖」一覧表

出来事・刺激原始脳の瞬間判断無意識の連想生存レベルでの誤認表に出る反応(感情・言動)本人の自覚
失敗した危険・不快評価が下がる群れから外される言い訳をする「正当な理由がある」
指摘・注意を受けた否定された価値が下がる地位が下がる反論・防衛的態度「理不尽だ」
他人が評価された自分が劣る相対的劣位生存競争で不利嫉妬・批判「あの人は運がいいだけ」
他人の成功を見た不快・焦り自分の立場が脅かされる居場所を失うマウント・見下し「自分の方が上だ」
無視・軽視された排除の兆候存在価値の低下命の危機怒り・攻撃「失礼だ」「許せない」
意見を否定された攻撃された自己否定生存否定強い反発「間違っているのは相手」
比較された劣等判定力が足りない生き残れない落ち込み or 攻撃「自分はダメだ/相手が悪い」

この表で一番重要なポイント

ここで押さえておくべき核心は、これです。

👉 原始脳は「命の危機」を直接感じているわけではない
👉 それでも結果として、命の危機に直結する反応を起こす

原始脳は、

  • 評価
  • 地位
  • 社会的立場
  • 将来

といった抽象概念を理解していません

ただ、

  • 否定された
  • 下に見られた
  • 不利になった

という刺激を、
すべて「生存に不利」=「危険」としてまとめて処理します。

なぜ「言い訳・怒り・嫉妬・マウント」になるのか

原始脳のゴールは一つだけです。

「これ以上、危険を広げないこと」

そのために最も手っ取り早いのが、

  • 自分は悪くないことにする(言い訳)
  • 相手を下げる(嫉妬・批判)
  • 自分の立場を誇示する(マウント)
  • 攻撃して距離を取らせる(怒り)

です。

ここに善悪・正しさ・人格は一切関係ありません。

本人が「考えた結果」だと思ってしまう理由

表を見てわかる通り、

  1. 原始脳が先に「危険」を判断
  2. その後に思考が理由を作る
  3. できあがった物語を「自分の考え」だと認識

この順番があるため、

「ちゃんと考えた上で怒っている」
「妥当な理由があって反論している」

本気で信じてしまうのです。

重要なのは、
原始脳が悪者なのではない、という点です。

原始脳は、
あなたを守るために
最短距離で動いています。

問題は、
その決定を「自分の判断」だと
思考が勘違いしてしまうことです。

原始脳が決めた反応に、
思考がそのまま乗っかると、
何が起きるか。

  • 本当は嫌なのに正当化する
  • 本当は不安なのに強がる
  • 本当は苦しいのに意味づけする

こうして、
自分の思ったように生きられない状態が固定されます。

これが続くと、
人生は静かに、確実につまらなくなります。

でも原始脳が先に反応するのだから、どうしようもないのでは?

ご安心ください。

うれしい研究が発表されています。

ベルリン大学付属シャリテ病院の研究では、
思考は取り戻せることが証明されました。

無意識の反応が先に起きても、
その後の「解釈」や「選択」は
再び意識で上書きできる。

つまり、

  • 原始脳の反応に気づく
  • そのまま受け入れない
  • 思考で選び直す

このプロセスは可能だということです。

人生を取り戻すとは、
原始脳を消すことではありません。

原始脳の存在を理解し、
距離を取ること
です。

原始脳は「幸せ」を知らないが、「楽しい(心地よい)」は判断している

まず大切な前提を整理します。

原始脳は「幸せ」という概念を持っていません。
一方で、「心地よい/心地よくない」という感覚は明確に判断できます。

そして実はこの
「楽しい」と「心地よい」は、原始脳レベルではほぼ同義
だと考えることができます。

この事実を理解すると、
「人生が楽しくない」と感じる理由が、能力でも環境でもないことがはっきりします。

原始脳にとっての「楽しい」とは何か

原始脳にとっての「楽しい」は、次のような状態です。

  • 不安がない
  • 不快刺激がない
  • 予測できている
  • 身体が緊張していない

つまり、
心地よく、安全で、今この瞬間を生き延びられている状態
これが原始脳にとっての「楽しい」です。

動物が日向でうたた寝をしているとき
子供が理由もなく笑って走り回っているとき

彼らは「幸せとは何か」など考えていません。
ただ原始脳が「今は心地よい」と判断しているだけです。

それでも私たちは、それを明らかに「楽しんでいる」と感じます。

「幸せ」と「楽しい」を混同した瞬間に、人生は苦しくなる

私たちは普段、「幸せ」と「楽しい」をほとんど同じ意味で使っています。
でも、この二つを混同した瞬間から、人生は急に苦しくなります。

原始脳が「楽しい」と感じているとき、私たちも確かに楽しいと感じています。
これは間違いありません。

美味しいものを食べているとき、
誰かと笑っているとき、
夢中になって何かに没頭しているとき。

この瞬間、原始脳は「心地よい」「安全だ」と判断し、
その反応がそのまま「楽しい」という感覚として意識に上がってきます。

ただし、

楽しい時間は、人生の中でそれほど多くはありません。

これは能力の問題でも、性格の問題でもありません。
脳の仕組み上、そうなっているだけです。

原始脳は「楽しい」より「不安・不快」に敏感

原始脳は、生き残るための装置です。
そのため、

  • 楽しい
  • 心地よい

よりも、

  • 不安
  • 不快
  • 違和感

に、圧倒的に敏感に反応します。

楽しい状態は「特に問題なし」としてすぐに処理されますが、
不安や不快は「対処が必要なサイン」として強く、長く残ります。

その結果、

  • 楽しい時間は短く過ぎ去り
  • 不安や不快な感覚は何度も思い返される

という偏りが生まれます。

人生が苦しくなる本当の理由

人生が苦しくなるのは、
楽しい時間が少ないからではありません。

本当の原因は、お伝えしているように

原始脳が出した「不安」「不快」のサインに、
私たちの思考が引きずられてしまうこと

にあります。

原始脳が不安を出した瞬間、思考はこう動き始めます。

  • 何が悪かったのか
  • どうすれば避けられたのか
  • このままではどうなるのか

そして、
その場には存在しない未来や評価の物語を作り始めます。

この思考による物語こそが、
「楽しくない人生」「苦しい人生」という感覚を作り出します。

「幸せ」を「楽しい時間の多さ」で測ると壊れる

ここで「幸せ」と「楽しい」を同一視すると、問題が起きます。

  • 楽しい時間が少ない
    → 人生は失敗している
    → 自分は幸せになれていない

という、極端な結論に飛んでしまうのです。

でも現実には、

  • 楽しい時間が少ないこと
  • 不安や不快を感じること

は、原始脳が正常に働いている証拠であって、
人生が間違っているサインではありません。

苦しさは「楽しくない」から生まれているのではない

整理すると、こうなります。

  • 原始脳が楽しいとき → 私たちは自然に楽しい
  • 原始脳が不安・不快を出す → 思考が過剰に反応する
  • 思考が物語を作る → 人生が苦しく感じられる

つまり、

人生が苦しいのは、
楽しさが足りないからではない。

原始脳の反応に、
思考が引きずられている時間が長いから。

この構造に気づいた瞬間、
「楽しくない自分」を責める必要はなくなります。

そしてここから、
原始脳と距離を取るという次の話につながっていきます。

人は成長とともに、
原始脳の反応の上に「思考」が乗るようになります。

子供は楽しいが、大人は「楽しくない」と感じる瞬間

同じ公園、同じ遊具。

  • 子供:理由もなく走り回って笑っている
  • 大人:「時間を無駄にしていないか」と考える

子供の原始脳は、
「安全」「心地よい」「自由」
という条件を満たしているため、即座に「楽しい」と判断します。

一方、大人はどうでしょうか。

原始脳が心地よさを感じる前に、
思考が評価を始めてしまいます。

その結果、
楽しさそのものが立ち上がる前に、ブレーキがかかります。

「楽しいはず」なのに楽しくない、という正体

よくあるのがこの状態です。

  • 友人と会っている
  • 休日で時間もある
  • 特に嫌なことは起きていない

それでも、
「なんだか楽しくない」
と感じる。

これは、
原始脳が不安・不快をゼロにできていないだけです。

  • このあと予定がある
  • 気を使っている
  • 無意識に評価されていると感じている

こうした小さな刺激が残っていると、
原始脳は「完全な心地よさ」に切り替わりません。

結果、
楽しい出来事があっても、
楽しさを十分に感じきれないのです。

思考は原始脳の決定を「正当化」し始める

多くの人は、
「不安になったから考えた」
「嫌な気分になったから理由を探した」
と思っています。

しかし、実際に起きている順番は逆です。

まず、原始脳が

・不安
・不快

を先に感じ取ります。

この段階では、
理由も物語もありません。
ただ、身体感覚として「嫌だ」「落ち着かない」があるだけです。

ところが、人はこの状態を長く放置できません。

そこで思考が動き出します。

「なぜこんな気分なんだろう?」
「何か原因があるはずだ」

ここから、
理由探しが始まります。

たとえば、

・上司からの一言でモヤっとした
・SNSを見て急に気分が沈んだ
・将来のことを考えて胸が重くなった

こうしたとき、
原始脳はすでに「不安/不快」と判断しています。

思考はそのあとで、

「あの言い方が悪かった」
「自分は評価されていない」
「将来が不安なのは今の環境のせいだ」

と、
今ある感情に合う理由を探し始めます。

これが、
原始脳の決定を正当化する思考です。

言い訳・怒り・嫉妬・マウントが生まれる構造

この「正当化」が進むと、
感情や態度として表に出てきます。

不安が強いとき、
思考はこう働きます。

「自分が悪いわけじゃない」
「仕方がなかった」
→ 言い訳が生まれます。

不快感が強いとき、
思考は外に原因を探します。

「あの人のせいだ」
「環境が悪い」
→ 怒りや攻撃が生まれます。

他人と比べて胸がザワついたとき、
思考は価値の差を説明し始めます。

「あの人は恵まれているだけ」
「自分の方が本当は上だ」
→ 嫉妬やマウントが生まれます。

これらはすべて、

不安/不快という原始脳の反応に、
後から意味を与えた結果

です。

本人は「考えた結果」だと思っている

ここが一番ややこしい点です。

本人の感覚では、

「ちゃんと考えた」
「冷静に判断した」

と思えています。

なぜなら、
思考が“理由”を用意してくれるからです。

しかし実際には、

・感情が先
・判断が先
・結論が先

で、
思考はその説明係をしているにすぎません。

これは意志が弱いからでも、
頭が悪いからでもありません。

人の脳の基本構造です。

この構造に気づかないままだと、
人はずっと、

「自分は考えて選んでいる」
「だからこの感情は正しい」

という物語の中で生き続けます。

「人生が楽しくない」は、人生の評価ではない

ここが重要です。

「人生が楽しくない」と感じるとき、
あなたは人生を正しく評価できていないのではありません。

原始脳が“心地よさを感じきれていない状態”が続いているだけです。

原始脳は幸せを知りません。
でも、確かに楽しさ(心地よさ)は知っています。

その楽しさを、
思考が邪魔しているだけ。

この構造を理解することで、
「幸せな人生を過ごしたい」という欲求から、少し距離を置けるようになります。

◆「人生が楽しくない」という思い込み

  • 人生が楽しくないのではない。楽しくない時間を、失敗だと解釈しているだけだ。
  • 楽しさが少ない人生が苦しいのではない。不安を長く考え続ける人生が苦しい。
  • 楽しくないと感じる自分を責めるほど、人生は重くなる。
  • 人生は、楽しい時間の合計点で評価するものではない。
  • 「最近楽しくない」は、人生の評価ではなく、脳の反応報告にすぎない。

原始脳の判断に、思考が自動的に従ってしまうと何が起きるのか

原始脳は
「不安」「不快」「安心」「心地よい」
という単純な反応しか持っていません。

ところが問題は、
その反応を受け取った“思考の癖”にあります。

思考は原始脳の判断をそのまま受け取り、
必ず「物語」を作り始めます。

しかも、その物語は
ほぼ例外なくネガティブな方向へ膨らみます。

原始時代ではネガティブでないと生き延びることができなかったからです。

人は「ネガティブな物語」を作るのが非常に上手い

たとえば、こんな経験は誰にでもあります。

  • 咳が出た
  • 少し熱っぽい

ここまでなら、ただの体の反応です。

しかし思考は止まりません。

「風邪かな?」
「いや、インフルかもしれない」
「最近疲れていたし…」
「もしかして呼吸器の病気?」
「最悪、肺がんの可能性も…?」

事実として起きているのは
咳と微熱だけです。

それにもかかわらず、
思考は原始脳の「不安」という反応を起点に、
最悪の物語を次々に上書きしていきます。

このとき人は、
「考えすぎている」とは感じません。

「現実的に可能性を考えている」
「ちゃんと向き合っている」
と思っています。

しかし実態は、
原始脳の不安に思考が全面協力している状態です。

過度に健康を気にする「健康病」も、そのもとは原始脳の働きです。

思考は“不安を消すため”に物語を作る

なぜ、ここまでネガティブになるのか。

理由は単純です。

原始脳は、
「理由のわからない不安」を最も嫌います。

そこで思考は、

  • 原因を特定しようとする
  • 最悪を想定して備えようとする
  • 不安を“意味あるもの”に変えようとする

この結果、
不安を説明するための物語が生まれます。

しかし皮肉なことに、
その物語自体がさらに不安を強化します。

人は「出来事」ではなく「物語」の中で苦しむ

重要なのはここです。

多くの人は、
出来事そのものに悩んでいるのではありません。

自分が作った物語の中で苦しんでいます。

  • 人生が楽しくない
    →「自分は何か欠けている人間だ」
  • 仕事がしんどい
    →「この先もずっとこの人生が続く」
  • 恋愛がうまくいかない
    →「自分は愛されないタイプだ」

事実として存在するのは、

  • 今の不安
  • 今の不快
  • 今の心地よくなさ

だけです。

それを、
過去・未来・人生全体へと拡張しているのが思考です。

原始脳+思考=ネガティブループ

ここで構造を整理します。

  1. 原始脳が「不安」「不快」と判断
  2. 思考が理由を探す
  3. ネガティブな物語を作る
  4. 物語が原始脳をさらに刺激
  5. 不安・不快が強化される

このループに入ると、
人はこう感じます。

「人生が楽しくない」
「ずっと何かがおかしい」
「自分の人生は間違っている」

しかしそれは、
人生の評価ではありません。

原始脳の反応と、
思考が作った物語の合成結果です。

だから「考え方を変える」だけでは抜け出せない

ここで多くの人が間違えます。

  • ポジティブに考えよう
  • 前向きな言葉を使おう
  • 楽しいことを探そう

しかし、
原始脳が不安・不快のままでは、
思考は何度でもネガティブな物語を作り直します。

物語を変える前に、
物語が生まれる起点を見なければならない。

それが、

原始脳が
「不安」「不快」と判断しているポイントを見つけ、
そこから思考を取り戻すこと。

「考えていない」と言われると、なぜ人は強く反発するのか

「人は考えて言動を選択しているわけではない」
この一文に、強い反発を覚えた人は少なくないと思います。

私の経験上でも、実に多くの人が反発されます。

理論としては冷静に聞けば理解できそうな話なのに、
なぜここまで感情が動くのでしょうか。

その理由は、
内容の是非ではなく、脳の反応の順番にあります。

反発は「理解できなかった」からではない

多くの人はこう思います。

「納得できないから反論した」
「理論がおかしいから否定した」

しかし、実際に起きているのは少し違います。

反発した人たちと話して分かったのは、
ほとんどの場合、

内容を考える前に、
すでに気持ちが反応していた

という事実でした。

原始脳は“否定されたかどうか”しか見ていない

原始脳は、

・正しいか
・論理的か
・科学的か

といった判断をしていません。

原始脳が見ているのは、
ただ一つです。

自分が否定されたかどうか

「考えていないと言われた」
この言葉を聞いた瞬間、

原始脳は、

・否定された
・価値を下げられた
・責められた

と判断します。

この判断が出た時点で、
防御反応が立ち上がります。

反発は“自分を守るため”に起きている

ここで重要なのは、
反発は悪意でも頑固さでもないという点です。

原始脳にとって、

否定される
= 危険
= 生存に不利

という構造があるため、
反射的に反発が起きます。

これは、

・攻撃されたら身を守る
・責められたら距離を取る

のと同じ、
ごく自然な防衛反応です。

思考は「反発のあと」に理由を作る

反発が起きたあと、
ようやく思考が動き始めます。

そのとき思考がやることは、
真偽の検討ではありません。

「なぜ自分は反発したのか」を
正当化する理由探しです。

だから、

「いや、自分は考えて行動している」
「そんなはずはない」

という言葉が、
あとから自然に出てきます。

これは考えているように見えますが、
実際には、

すでに出た結論を守るため思考で意味づけをする

に近いものです。

この反発そのものが、原始脳優位の証拠になる

皮肉なことに、

「考えていないと言われて反発する」

この現象そのものが、

原始脳が先に反応し、
思考が後から動いている

という構造を、
とても分かりやすく示しています。

つまり、
反発は理論への反論ではなく、
理論が示す仕組みの実例なのです。

この視点に立つと、
一つ大きな安心が生まれます。

反発してしまったとしても、
それは「理解力が低い」からでも
「意識が低い」からでもありません。

ただ、
原始脳が正常に働いただけです。

原始脳と距離を取ると、人生は取り戻せる

ここまで読んで、

「じゃあ、どうすればいいのか」

そう思った人もいるかもしれません。

ただ、先に一つはっきりさせておきたいことがあります。

原始脳を消そうとする必要はありません。

もちろん消すことはできません。
そして、戦う必要もありません。

原始脳は敵ではなく、
ただ“先に反応する仕組み”なだけだからです。

原始脳を消す必要はない

多くの自己啓発やメンタル論では、

・ネガティブになるな
・不安を手放せ
・前向きに考えろ

といった指示が出てきます。

しかし、これは原始脳にとっては
戦いを仕掛けられている状態になります。

原始脳は、

・不安を感じる
・不快を避ける

ために働いています。

そこに「感じるな」「抑えろ」と言われると、
さらに警戒を強めます。

だから、
コントロールしようとすればするほど、
反応は強くなるのです。

ここで必要なのは、
消そうとすることでも、
押さえつけることでもありません。

距離を取ることです。

「今、不安/不快を感じている」と気づく意味

原始脳と距離を取るための、
最初の一歩はとてもシンプルです。

「今、不安を感じている」
「今、不快を感じている」

ただ、これに気づくこと。

ポイントは、
理由を探さないことです。

多くの人は、

「なぜ不安なのか」
「誰のせいなのか」

を考え始めます。

これは、
すでに物語の中に入っています。

そうではなく、

「不安がある」
「胸がざわついている」

と、
反応そのものを認識するだけです。

この瞬間、
反応(原始脳)と物語(思考)が切り離されます。

切り離された瞬間、
思考は「正当化係」をやめ、
静かに戻り始めます。

多くの人が、

「少し落ち着いた」
「一歩引いて見られた」

と感じるのは、
このタイミングです。

シャリテ病院の研究が示した可能性

お伝えしたように、ベルリン大学付属シャリテ病院を含む研究では、
人の脳は、

一度下した判断や反応を、
あとから修正できる

ことが示されています。

これは、

「最初の反応がすべてではない」
という意味です。

原始脳が先に、

「不安」
「不快」

と判断しても、

そのあとで思考が戻れば、
別の選択が可能になります。

たとえば、

・不安だから逃げる
・不快だから攻撃する

という自動反応を、

「今は不安が出ているだけだ」
「このまま動かなくてもいい」

と、
上書きする余地が生まれます。

たったそれだけで、失敗したと思った瞬間に浮かぶ言い訳を口から出さず、負けたと思った瞬間に浮かぶ嫉妬に操られず、仲間外れや地位の低下にも恐れる必要がないと思うのです。

これが、
人生を取り戻す感覚の正体です。

原始脳は、
人生のハンドルを勝手に握ります。

しかし、
そのまま握らせ続ける必要はありません。

存在を否定せず、
戦わず、
ただ距離を取る。

それだけで、
思考は自然に戻ってきます。

静かな変化

原始脳と距離を取る、というと
多くの人は「何かが劇的に変わる」と思います。

不安が消える
人生が一気に楽しくなる
考え方が前向きになる

──しかし、実際に起きる変化は、もっと地味で静かなものです。

原始脳と距離を取った「直後」に起きること

まず起きるのは、
出来事が変わることではありません。

仕事は同じ
人間関係も同じ
環境も、収入も、立場も変わらない

それでも、ある瞬間にふと、

「あれ? さっきまでと、何かが違う」

という感覚が生まれます。

不安が消えたわけではない。
楽しくなったわけでもない。

ただ、

不安や不快に“飲み込まれていない自分”が、そこにいることに気づきます。

「まだ人生は変わっていない」けれど、確実に違う感覚

たとえば、こんな場面です。

  • 朝、仕事に向かう電車の中
  • いつもの上司の一言
  • SNSで他人の楽しそうな投稿を見た瞬間

これまでなら、

「ああ、やっぱり自分の人生はダメだ」
「なんで自分だけこんな思いを…」

と、反射的に物語が始まっていた場面。

ところが、原始脳と距離を取れた直後は、

「今、不安モードだな」
「原始脳が反応してるだけだな」

という一歩引いた視点が、ほんの一瞬だけ現れます。

この一瞬が、とても重要です。

「見え方が違う」と感じる瞬間の正体

このとき起きているのは、

  • 不安が消えた
  • ネガティブにならなくなった

ではありません。

不安と“自分”が重なっていないのです。

これまでは、

  • 不安=自分
  • ネガティブな物語=現実

でした。

でもこの瞬間、

  • 不安は「反応」
  • 物語は「後から作られた思考」

として、ほんの少しだけ分離されます。

だから、

「人生は相変わらず同じなのに、
なぜか、さっきほど苦しくない」

という、説明しづらい感覚が生まれます。

派手な希望ではなく、静かな余白が生まれる

ここで生まれるのは、
前向きさでも、ポジティブさでもありません。

余白です。

  • すぐに結論を出さなくていい余白
  • 自分を責めなくていい余白
  • 無理に楽しもうとしなくていい余白

この余白こそが、
後に「人生をどう楽しむか」を選び直す土台になります。

この段階では、まだ何も変えなくていい

とても大切なことなので、はっきり言います。

この段階で、

  • 楽しもうとしなくていい
  • 目標を立てなくていい
  • 前向きになろうとしなくていい

ただ、

「原始脳が反応しているな」
「思考は、今から始まるんだな」

と気づければ、それで十分です。

なぜなら――
人生を楽しむ選択は、ここからしか始まらないからです。

人生は、楽しんでナンボでいい

ここまで読んで、
「自分は人生を楽しもうとしていないのか」
そんな思いが浮かんだ人もいるかもしれません。

その思い、間違っていません。

それは性格でも、努力不足でもなく、
脳の仕組みの話だったからです。

人生を楽しめない自分は間違っていない

多くの人は、

「もっと前向きにならなきゃ」
「楽しめない自分がおかしい」

と、自分を責めます。

しかし、ここまで見てきた通り、

・原始脳は先に反応する
・不安や不快が自動で立ち上がる
・思考は後から物語を作る

この流れは、
誰にでも起きていることです。

人生が楽しく感じられなかったのは、
あなたが弱いからではありません。

ただ、
原始脳が主導権を握ったまま、
長く生きていただけです。

幸せは「原始脳のゴール」ではない

原始脳は、

・不安を避ける
・不快を減らす
・安心できる状態を保つ

これしか見ていません。

そこに、

「幸せになりたい」
「人生を楽しみたい」

というゴールは存在しません。

幸せは、
思考の中にしか存在しない概念です。

だからこそ、

原始脳の反応に気づき、
一歩距離を取り、
思考を取り戻したときに初めて、

「どう生きたいか」
「何を大切にしたいか」を、
選び直すことができます。

楽しもうと決めた人から人生は変わる

人生を楽しんでいる人は、
特別な出来事に恵まれているわけではありません。

嫌なことも起きるし、
思い通りにならない日もあります。

それでも彼らは、

「これは楽しめるか?」
「どう向き合えば楽になるか?」

と、
出来事ではなく、向き合い方を選んでいます。

たとえば、

・完璧じゃない日を責めない
・不安な自分を敵にしない
・楽しくない時間も人生の一部として許す

この姿勢が、
人生の手触りを変えていきます。

人生は、
常に楽しい必要はありません。

幸せでい続ける義務もありません。

ただ、

「楽しもうと決めること」
「楽しさを選び直す余地を残すこと」

それだけで、
人生は少しずつ変わっていきます。

原始脳に振り回されながらでもいい。
不安や不快が出てきてもいい。

それでも、
人生は楽しんでナンボです。

ここまで読んだあなたは、
もうそのスタートラインに立っています。

私の経験

私は長年、努力や我慢が成功の秘訣だと思い込んでいました。

だから、努力や我慢が大の苦手な私は人生で成功するなんて・・・

と思っていました。

それでも生活のため、と無理をしたのがたたったのか、パニック障害を発症しました。

苦しい時間を過ごしたものの、集中瞑想の最中「全ての物や出来事の背後にはそれを引き起こす力が働いている」というイメージと言葉が与えられるというスピリチュアルな体験をしました。

その瞬間にパニック障害から抜け出すことができたのです。

以来私の関心は脳とエネルギーに向きました。

脳神経学、進化心理学、量子学、の示すところを探すと、

「人生を楽しもうとする」ことが、すべての問題を解決する方法だと確信しました。

多くの人は人生を楽しもうとしていません。

ただ毎日原始脳の反応に付き合って生きているだけです。

もしあなたが、人生を楽しめていないと感じているならば、少しずつでも良いので「人生を楽しもう」としてみてください。

間違いなく人生に変化が訪れます。

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