幸せになる運命
不幸になる運命
そんなものあると思いますか?
答えは・・・
あろうとなかろうと、私たちにできるのは目の前のことに力を注ぐこと!!
くどいようですが、脳には
不安や不快から逃れたい、安心と心地良さを求めたい、
という基本的欲求があります。
では、不安って何でしょう?
読み飛ばさないで自分を観察してみてください。
どんな時に不安を感じるかを。
脳は不安を感じることを嫌がりますが、そのほとんどはただ漠然と感じているだけで、その正体を深く追求することはしません。
だから、「何に不安を感じているのですか?」という質問に対しての答えも漠然としたものです。
例えば経済的な不安。
三日以内に10万円を作らなければ支払いが出来ないけど、その当てがない、という事実に対して解決法を考えるのではなく、支払いが出来なかったあとの物語を延々と作り、それに対して不安を感じています。
ぎりぎりまで方策を考える、それでも無理だったら、起きた出来事に対して対処する、というのが最も不安を感じなくする方法です。
にもかかわらず、脳の欲求に任せて想像の世界を作り上げると不安は大きく膨らみます。
というのも私たちは良い物語を作るよりも悪い物語を作るほうが上手だからです。
想像の世界だから、実体のない漠然とした不安になります。
病気も同様。
ガンの宣告を受けると不安でいっぱいになりますが、そのほとんどはやはり想像の世界のものが大半です。
私たちの祖先は物陰に潜む危険を想像することで生き残ることが出来ました。
人類が誕生したころ、不安は命を守る大切な感覚だったはずです。
でも現代では、物陰に潜む猛獣はいません。
代わりに悪い物語を猛獣に仕立てれば、すくんでしまって前に進むことが出来ません。
不安の正体は「分からないこと」
分からないことに対して私たちは不安を感じます。
でも、ちょっと考えたら分かるように私たちの周りは分からないことだらけです。
そのため、自分が納得できる説を取り込むことで少しでも分かった気になり、不安から逃れようとします。
だから、不安から逃れるために取り込んだ説が否定されると猛烈に反発します。
健康情報が良い例で、その多くは単なる仮説にすぎませんが、真実であるかのように錯覚してしまうと、反論には耳を貸さなくなります。
運命という考え方もその一つ。
本来、私たちの世界は不確定要素で満ちていると考えるのが主流ですが、
アインシュタインが「神様はサイコロを振らない」と言ったように、
自然界の物事はすべて何らかの法則により決まっているという考え方があり、運命という考え方はそれに基づいています。
ただ、私のカウンセリングの経験から言うと、自分が幸せを感じられないのは運命だ、と言われる方ほど「運命は変えられる」といった言葉に敏感に反応されます。
「変えられる」と思うのは、すでに運命という決まったものはないと思っているという矛盾があるはずですが、自分で気づくことはないようです。
私たちは脳の欲求に任せて生きると、常に漠然とした不安を持ち続けることになります。
そしてそこから逃れるために、多くのことを自分に都合の良いように解釈して安心を得ようとします。
当然人によって解釈は異なるわけですから、人それぞれと思えれば良いのですが、人の解釈を認めることは自分の不安を解消することにならないことですから、なかなか異なる意見を受け入れることはできません。
幸せになる運命
不幸になる運命
そんなものがあるのかないのか決めるのは、どちらを選べばあなたの脳が安心できるか心地良いかにかかっています。
不安や不快から逃れ、安心と心地良さを求めたいのが脳の欲求です。
自分の不安を見つめ、どうすればその不安が解消されるのかしっかりと考えることが、脳の欲求に従わないただ一つの方法です。
物理学で証明されていない運命についてあれこれ思いを巡らせるのは何一ついいことはありません。
運命があろうとなかろうと、
私たちにできるのは、今自分に与えられている出来事に対して力を注ぐことだけです。
そして、目の前のことに力を注ぎ続けることが、最も幸せになる近道であり、幸せになる運命を引き寄せる最良の方法です。
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